ミドサーDINKS妻のQOL向上計画

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先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療③

先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療記です。
前回はこちら。

 

maykkzk.hatenablog.jp

 

 

一時帰宅

今回の一時帰宅は8月23日から27日までの4泊5日。
前回の2泊3日と比べると少し余裕がある。

我が家ではうさぎを飼っているのだが、そのうさぎが気性が荒く見た目は元気なくせに意外と病弱で何かと病院通いの多い子で、高齢になってからは隔週で動物病院に連れて行っていた。
わたしが一時帰宅した日からうさぎの具合がまた悪くなり、24日に急遽夫が病院に連れて行き、そのまま入院させてきた。

結局これが、うさぎに会えた最後の機会となってしまった。

一時帰宅中はシャウエッセンを食べたり(絶対に病院で出ない)、パンケーキを焼いてもらって個包装になっているメープルシロップAmazonで買ってかけて食べたりした。

 


はちみつは食べられないがメープルシロップは火が通っているようなので大丈夫だ。

8月27日

今までと同じように病棟の1Fで夫と別れ、病棟に上がった。
病室も今までと同じ無菌室だ。

前回のPCRから期間が空いているので(前回入院時はしなかった)、無菌室でPCR検査を受け、結果が出てから入院時に必須の検査を受けに行く。

一時帰宅の間に右の胸から肩にかけて湿疹が出てきたが、主治医曰く抗がん剤の影響かもしれないそうだった。
抗がん剤は肌や爪にもダメージを与えるそうで、そういえばいままで気になっていなかったようなパーツの肌がカサカサしているなと前回の入院時に思っていたことを思い出した。

病院食にもさすがに飽きてきた。
わたしが入院していた病院では、抗がん剤治療で味覚障害になった患者が選択出来る「セレクト食」なるものが用意されていて、わたしは濃い目な味付けのコースを選択していた。
でも、このコースだと献立のバリエーションが5つしかないのだ。
朝は常食とほぼ同じメニューが出るが(生物禁なので厳密には違う)、昼と夜はこの5つのうち2つが出るので、2〜3日に1度は必ず同じものを食べることになるし、何なら2日連続で同じメニューになったりもする。

8月28日

朝からPICCを入れる。
PICCを入れる部屋まで、ウィッグも帽子もかぶるのを忘れて完全にハゲ頭で行ってしまった。
外部の人の目がないわけではないが、知り合いでもないので割とどうでも良かった。

最初の寛解導入療法の時は右にPICCを入れ、途中で左に差し替えた。
前回の地固め療法でははじめから左にPICCを入れ、1ヶ月間それを使った。
ということで、左ばかりに入れるのも左の血管によくないので、今回は右に入れましょう。

と言われたはいいが、1度目のPICCを入れた時と比べて右の血管が細くなってしまっているらしく、3回トライしてもPICCが入らなかった。

トライされているあいだ痛すぎて痛すぎて、
「普通こんなに痛いものなんですか!?」
と聞いたが、担当医に
「わたしが下手なのかもね、ウフフ」
と言われてしまい、絶望した。

が、「右は無理」となって左からPICCを入れた時は、最初のガイドワイヤーを刺す時と麻酔を入れる時以外は何も痛くなかったので、担当医の腕の問題ではないと思う。
「こっちは痛くなかったです!」と一応担当医に伝えた。

PICCを入れたので、また凝血管理をワーファリンではなくヘパリンで行うことになった。

地固め療法2クール目

地固め療法2クール目では以下の2種類の抗がん剤が使われた。
・キロサイド: 24時間連続投与×5日間
・ダウノマイシン: 30分×3日間
また、毎日吐き気止めの服用と点滴がある。

8月30日

早速夜から吐き気が始まった。
この回は吐き気が結構あった。

抗がん剤が体から出ていけば吐き気は多少収まるはずということなので、せっせと水分を摂り、せっせとトイレに通った。

8月31日

うさぎを入院させている動物病院から夫に連絡があり、腎臓の値がとても悪く、その他に色々持っている不具合も腎臓のことを考えると治療に踏み切れる状態ではなく、病院としてももう打てる手がないので迎えに来てくれないかと言われたということだった。

うさぎを家に連れて帰ってきたが、かつては元気すぎるほど飛び回っていた子がヨタヨタとしか歩けなくなっていて、しかも2〜3歩歩くとその場で滑るように転んでしまう。
ごはんをふやかしてあげても食べられないし、甘いジュースも飲めない。

夫から動画を見せてもらい、わたしもショックを隠しきれなかった。

結局この日の夜中に、うさぎは月へと帰っていった。

LINEでつなぎながら、この子が月へ帰るのを夫と一緒に見届けたいと思っていたのに、抗がん剤のせいか朦朧としていて、画面の向こうから夫に泣きそうな声で呼びかけられてはっとした時にはうさぎは月へ帰ったあとだった。
わたしはこの時、夫と一緒に最期を見届けてあげられなかったことをとても後悔している。

Domani 2017年6月号 別冊に掲載いただいた写真

うちには子供がいないから、うさぎのことをとても可愛がって育ててきた。
実はこの子は2羽目のうさぎで、1羽目の子は夫が独身時代の時から飼っていた子だ。
1羽目の子は、ある日わたしが会社から帰宅するともう亡くなっていて、しかも3歳とまだ若かったので、夫が帰宅するまで呆然とそれを眺めているしかなかったのを覚えている。
だから2羽目の子はどんなに些細なことでも体調に気になる点があれば仕事に都合を付けて病院に連れて行くようにしていた。
今回月へ帰って行った2羽目の子も、8歳になる手前で帰ってしまったので、もっと長生きさせてあげたかったなという気持ちはあるが、尽くせる手はすべて尽くしたと自信を持って言えるので、その点後悔はない。
病院も絶妙なタイミングで夫に迎えに来させてくれ、うさぎは夫に撫でられながら月へ帰ることが出来た。

でも、今のタイミングじゃなくてもいいじゃん。

わたしが入院して不在の間、この子は夫の心の慰めになっていたのに。
わたしと言い、うさぎと言い、何で一度に何もかも夫から取り上げるんだろう。
夫はそんなに前世で悪いことをしたか?
神様は本当に意地悪だと思った。

めちゃくちゃぶちゃいくなところも愛おしかった

9月1日

面倒なことは先に済ませてしまおうと午前中にシャワーを浴びるようにしているが、この日はシャワーから無菌室に戻る最中に急に吐き気がこみ上げてきて、ちょうどその場にいた主治医に「ゲーしそう」と言い、担当医に無菌室まで付き添ってもらった。
抗がん剤投与の期間中はゆっくり午後からシャワーを浴びた方が良いのではと言われ、そうすることにした。
また、シャワー前のタイミングで制吐剤を投与してもらうことにもした。

この日は朝の検温で37度を少し超えていて、おやっと思っていると昼頃に悪寒が始まり、熱が39度を超えた。
前回、一度も発熱せず穏やかに過ごせたので今回も同じように過ごせたらと思っていたが、甘かったようだ。

看護師さんに伝えて湯たんぽを持ってきてもらった。
担当医から、CTとレントゲンを受けるよう指示があり、ガタガタ震えながら向かった。
寒くてつらくて、検査の最中に「寒い!」「早くして!」と口走ってしまった。
結果としては肺炎等は認められず、抗がん剤による発熱の可能性があると言われた。
血培を取り、解熱剤を投与してもらうと熱はすとんと37度台まで引いた。

白血球はが下がるのはこれからなのに、今からこんなに発熱していたら骨髄抑制期にはどうなってしまうんだろうという不安が芽生えた。
本当に薬のせいで発熱しただけだったら良いのだが。

また、右上半身だけに出ていた皮疹が脚にも現れるようになってきた。
これも抗がん剤の影響だろうということだった。

9月2日

うさぎのお葬式をした。

最近はペット専門の葬儀会社があり、都心にも車で来てくれる。
車の後部に火葬の装置があるのだ。

たった一人でうさぎとお別れをしなければならない夫のことを思うと胸が締め付けられた。
お別れのところは夫が動画を撮ってくれて、後で見させてもらった。
お骨を拾う時は夫がLINEでリアルタイムでつないでくれたので、一緒に様子を見ることが出来た。

夫は動物病院にも連絡を入れてくれていた。
何年もうさぎを診てくださった先生は本当に優しい方で、
「病院でも様子が違ったので、お家に帰りたいかなとスタッフみんなでも話して送り出していたので、残念だけど最後一緒に過ごせて良かったです」
と言っていただいたそうだった。

夫は家に一人ぼっちになってしまった。

夫はもともと物静かな方で、人と集まってワイワイするタイプではない。
けれども、いたはずの人の気配がしないとか、自分の立てる物音以外に何も音のしない静かな家に一人で取り残されることが得意かというのはまた別の話だと思う。

9月3日

どうにも落ち着かない。

無菌室からは出られないので、部屋にある椅子に座ったり、かと思えば立ってみたり、ベッドに戻ってみたり、色々してみるがムズムズが収まらない。

とはいえ何かしたいわけでもない。というか何もしたくない。

治療が始まって2ヶ月半経ち、当初の「やったるでー!」という気持ちも徐々に失速してきて、表には出さないようにしていたが「もう何もかもが嫌だ」という気持ちになったりもした。

9月6日

無菌室の住民が無菌室の外に出られる機会には主に2種類ある。
1つは毎日のシャワーの時、もう1つは検査や他科受診の時だ。

この日は他科受診があった。
先方の診療科の都合で呼ばれるので、いつ呼ばれるかはよく分からない。
呼ばれたら、ケア帽子をかぶって車椅子に乗り、ヘルパーさんに連れていってもらう。
診療科によっては外来のある棟まで出向かないといけない(白血球が少ないのにコロナ禍で外来棟に行くのは非常に嫌だった)。

そして、この日は月曜で、夫が洗濯物の交換と飲み物の差し入れをしてくれる日でもあった。

他科受診の帰り、病棟の1Fで一瞬だけ夫と会うことが出来た。

夫に会えたのがとても嬉しかったし、夫も「元気が出た」と言ってくれて、迷惑しかかけてないわたしでも夫の力になれることがあるんだと嬉しくなった。

9月8日

東南アジアで働いている同僚からSlackで業務について問い合わせがあった。
「いま休んでるから回答出来ないごめん、ボスに聞いて」
と返事をしたら
「Ha ha, no worries. Enjoy your holiday!」
と返ってきて、
「その休みちゃうわ」
と思った。
こんな休みより仕事のほうが何倍もましだ。

9月8日

ようやく平熱に戻った。
これで一安心して良いのかしら。

9月9日

病院食に限界を覚え、夫に冷食を差し入れてもらった。
元々スパ王でも食べたいなと思っていたのだが、かつてのスパ王はもはや存在せず、今は冷凍パスタが主流になっているようだったのでそちらをお願いした。

9月13日:全ワクチン打ち直し!?

わたしは元々先天性心疾患があるので、「基礎疾患あり」枠として住んでいる自治体から早めにコロナワクチンの接種券を送ってもらう手筈になっていた。
しかし、肝心の接種券が発送されるその前日から入院となってしまい、ワクチンを打てないまま過ごしていた。

担当医に
「わたしまだコロナワクチン打ててないんですけど、いつどういう状態になったら打てるんですか?」
と聞いたところ
「それどころか移植したら免疫が赤ちゃんに戻っちゃうからね、今までの人生で打ってきたワクチンは全部打ち直しですよ」
「その合間のどこでコロナワクチンを打てば良いのかというのは有効なサンプル数や研究がまだないと思う」
「当面は、コロナに限らず感染症は何でも、まずはご家族や身の回りの人がワクチンを打ってもらって、水際で防ぐようにするしかない」
とびっくりの回答が返ってきた。

夫はすぐに義母に自分のワクチン接種歴を聞いてくれ、義母が夫の母子手帳を写真に撮って送ってくれた。
夫はFully Vaccinatedだったので、義母に心から感謝した。

9月16日

親友からLINEで
「実現までに時間がかかってしまったけど、会社に献血バス呼んだよ!」
と写真が送られてきた。

彼女が勤務先でCSR担当だったこと、個人で献血ルームに行った時に出張献血を手配出来ることを知って実現させてくれたそうだった。
会社員で、そういう立場にいるからこそ出来た、自分の立ち位置を有意義に活かせて良かったと言ってくれた。

本当に本当に嬉しかった。

9月18日

不正出血があった。

お昼を食べている最中に起きたので、パジャマや下着、座っていたベッドのシーツにも血が付いてしまった。
ただ、生理なのか?と言われるとよく分からない色をしていた。
生理の出血なら茶色がかった赤いものが出てきそうだが、この時出てきたのはたらこマヨネーズのようなピンク色のおりものだった。

治療中は生理を止めることになっていて、
「次の生理が始まったら服用を始めるように」
とレルミナという薬を処方されていたので、一応それを飲み始めることになった。

9月21日

入院生活に飽きた。
もう3ヶ月も入院している。
当初言われていた半年間の折返し地点、かと思いきや、移植することになったのでいつ治療が終わるのかが見えていない。
先の見通しがないまま過ごすというのはとても精神衛生に悪い。
社会から隔絶されていることにも「仕事をしていないこと」にも息苦しさを感じ始めた。

「好きなだけ寝る生活」は3ヶ月もすれば充分なんだなというのが今回よく分かった。

9月22日

最終決定は翌日の採血の結果次第だが、土曜に一時帰宅しても良いと告げられた。

ドナー選定の進捗状況について聞いてみたが、まず5名の候補者に骨髄バンクから打診の手紙を出してもらい、1名からお返事が来たとのこと。
その方の確認検査を今週やったということだった。
このペースでコーディネートが進んでいくと、移植は次の地固め療法の更にその次くらいが妥当だと言われた。

見ず知らずのわたしのためにドナーになろうとしてくださっている方がいることが分かったのがとても嬉しかった。
やっぱりわたしは持って生まれてきたんだ。
一方で、5名のうち1名からお返事が来たということは、残り4名の方からお返事がないということでもあり、打率の低さは少し気になった。

9月24日

恒例のマルク。

9月25日

一時帰宅出来ることになった。
今回は6泊7日。
更に期間が伸びたのが素直に嬉しかった。



続きます!

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