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【先天性心疾患】性・恋愛・結婚・妊娠出産について【人工弁】

先にお断りしておくと、タイトルはアレですが生々しい話は一切出てきません。
(実名顔出しでやってるブログですしw)

ただ、sweet-peaさんのブログを拝読し、TwitterのTLでも目にしまして、確かにこういう話って誰も教えてくれないよなぁ、と思いました。

sweet-pea.hateblo.jp

 
というわけで、わたしのケースはどうだった?というのを書いておきます。
※あくまでも「わたしの場合はこうでした」という一例です。全ての方に当てはまるわけではありません。


結論から言うと、「わたしなんにも気にしないでやっちゃったテヘ」です。

…という話を先日夫にしたところ、「俺だって気にしたのに」と呆れかえっておりましたもので、それがちょっと面白くて「ダメな事例」としてブログにしようかと思った次第です。
とはいえこれだけだと何の役にも立たないどころかわたしがただのダメ人間なだけで終わってしまうので、関連するエピソードを書いていこうかと思います。


わたしは夫とお付き合いする前、18歳から24歳まで6年近くお付き合いしていた人がいました。
その人とお付き合いしはじめた頃、毎月の検診で当時の主治医に会った時に、たまたま一緒に来ていた母が「この子、彼氏が出来たんですよ」と主治医に言いました。
「ワイのプライバシーとは」と思わないでもないですが、おそらく「気を付けなくてはいけないことはあるか」を聞くために切り出したのだと思います。
※本人は「なんにも気にしないでやっちゃったテヘ」みたいな人間なので、気を付けないといけないことがあるかもしれないことには全く考えが至っていませんでした。

主治医が何と言ったか詳細な記憶はないのですが、その時にはじめて
「あなたは妊娠と出産は出来ない。ワーファリンを飲んでいると胎児が奇形になってしまうし、おそらく体力的にも出産には耐えられない。本当に妊娠を望むのであれば生体弁に換えれば可能になるが、そのためにはまず今の機械弁から生体弁に換えないといけないし、生体弁は劣化するので、そのうちまた弁置換が必要になる。何度も手術を受けるリスクを取ってまで子供が欲しいかは考えるように。」
というような趣旨のことを言われました。

その晩、母は台所に立ちながら泣いていました。

幼い頃に「健康に生んであげられなくてごめんね」と泣きながら謝られたこともあり、TwitterのTLを見ていると同じような苦しみを抱えていらっしゃる方もたくさんお見掛けします。
わたし自身は自分が病気を持っていることに対して特に悲観をしたことはないし、母に謝ってもらう必要を感じたことはいままで一度もありません。
だってさーもうそうやって生まれちゃったもんはしょうがないじゃん。
悩むだけリソースがもったいないじゃん。
置かれた場所で咲きなさいとか配られたカードで勝負するしかないって昔から言うじゃん。
※と、わたし自身は思っているけれど、そこまで割り切れない方がいらっしゃることも理解しています。悩みなんて人それぞれだし、他の人からすれば悩む必要がなさそうに思えることでも本人にとっては深刻なことってたくさんありますよね。わたしも普段はしょーもないことでくよくよ悩むタイプです。

母はわたしが妊娠出産出来ないのだろうなということを薄々感じていたようなのですが、改めて主治医から明確に言い渡されてショックだったのだと思います。
その時のわたし自身は、大学に入りたてで将来自分がどんな大人になるかの妄想が爆発している時だったので、「わたしは将来バリキャリになるから子供は要らない」と本気で思っていました。
なので、自分のお腹をいためて子供を産むという道が消えたことに対しても「あっそう」という、…書いていて思ったのですが、わたし自分のことを相当クールに捉えていますね…笑
母にも「わたしたぶん子供要らないと思うから別にこのままで問題ない」というような返事をしたような気がします。

同時に母は「先生があんなふうにおっしゃったということは『うっかり妊娠しちゃったら命懸けなんだから避妊には気を付けなさい』という意味なんだからね」とも言いました。
わたしは遠回しな表現は他人から発せられたものの意を汲むことも自分から発することもとても不得手で火の玉ストレートしか出来ない人間なので、母のこの翻訳はとても助かりました。


ただお付き合いするだけなら、嫌になったら別れれば良いのだから病気が足枷になるとは思いませんでしたが、将来結婚するとなったら子供が産めないことはハンデになるだろうということは当時からうっすらと考えていました。

色々積み重なって24歳で当時の彼氏とお別れした次の検診で、当時の主治医(はじめのほうで出てきた主治医からは代替わりしています)に、
「せんせーどうしよう彼氏と別れちゃった!わたし子供産めないのにこのまま結婚出来なかったらどうしよう!」
とどストレートに言ったところ、
「そんなの知らないよぉ。あなたみたいに人工弁入れても結婚してる人はいるんだし、『子供がいなくてもいいからきみといたいんだ!』って言ってもらえるように自分磨きを頑張るしかないでしょ」
とやはりストレートに打ち返されたのはよく覚えています。

母からは「結婚して子供を産むことだけが幸せのかたちではない」「一生独身でも大丈夫なように、自分で自分を食べさせていけるようになりなさい」と繰り返し言われました。
前者も後者も本当にその通りですが、健康でも病気でも正直そこはあまり変わらないですよね。

父は元々「あなたの好きにしなさい」というタイプなのですが、「とーちゃんこえーな」と心底思ったのは、フリーの期間中に「次に付き合うならどんな男の人がいいと思う?」と興味本位で聞いてみたところ「きみの選んだ男性なら誰でもいい。もしろくでもない男だったら、育て方を間違ったんだなと思うだけ」と答えられた時です。
「これはろくでもない男なんてとても連れて行けないわ」と震え上がったことは10年経った今でもはっきり覚えています。

今の夫と結婚するにあたっての経緯は、手前味噌なのですがこちらのインスタ投稿に書いたキャプションが一番良くまとまっているかなぁと思います。

 

 
 
 
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Mayo Kakizaki(@n081161)がシェアした投稿 -

この投稿だと夫の顔が隠れていますが、最近はそのまま出してますw


わたしの場合は「子供は要らない」は変わらなかったけれど結婚はしたかったので、「条件の悪いわたしがいい男と結婚するには」をめちゃめちゃ頑張って考えた結果、今の夫と幸運にも結婚することが出来ました。
※頑張ったからといって結婚出来るとは限らないけれど、頑張らないと結婚出来ない。結婚に限らず、なんでも「成果=頑張り+運とか縁」

 

maykkzk.hatenablog.jp



「産めるけど産まないことを選択する」のと「はじめから産めないことが分かっている」のは、結果は同じでも実は全く別事象だなと結婚してから考えるようになりました。
そして「健康だと思っていたら実は不妊でした」ともやっぱり別事象な気がします。
でも、これらを同じところに並べたり比べることはどう考えても意味のないことです。
確実に言えるのは、障害者で子供が産めないだけでなく、体力がなくてすぐ寝込んだり入院したり将来どうなるかも良く分からないようなわたしをわざわざ選んでくれた我が夫はめちゃくちゃいい男だということと、わたしはとても幸運だということだけしかありません。

夫は基本的に健康優良児なので、もともとは「結婚したら子供を持つ」という“当たり前”に疑問を抱いたことのない人でした。
でもわたしと結婚することで、その“当たり前”とはさようならしないといけません。
彼なりに悩んで彼の中の“当たり前”と向き合った上でこのような結論を出してくれたことにとても感謝しています。

そしてわたし自身、世の中で“当たり前”とされていることに疑問を持つことが出来るようになったのは自分自身が病気だからこそだと思っていて、その点では自分の考えの幅を広げてくれた病気に感謝すらしているところがあります。
障害や病気は個性とよく言いますが、これ以上の個性ってないです。
※あっでもわたしは病気に関係なく中身がめっちゃ個性的で面白いらしいので「喋らなかったらモテるのに」とよく言われます。悲しい。


いまは将来を見据えて生体弁を選ぶ女性も多いと聞きました。
自分に出来るだけたくさんの可能性を残すことはとても素晴らしい選択だと思います。
どんな選択肢を取ろうとも、その選択肢を自分自身で考えて決めること、そしてその選択肢によって起こり得る未来の中でそれぞれがベストを尽くすことが出来ればそれで良いのだというのがわたしの考えです。

わたしは色々考えた結果、「本当に子供が欲しかったら自分で産むことに拘る必要はない、その時は養子や里親制度を考えれば良い」という結論に至りました。
わたしはいまの自由気ままな生活をとても愛しているので、このまま子なし人生を送ると思いますが(いや年取ってリタイアしたら里親はやるかも)、世の中の“当たり前”が変わることで養子や里親といった制度がもっと一般的になったり、子供が欲しいのに持てなくて悩んでいる全ての方にとって身近な存在になったらいいのになぁと考えることは良くあります。

学生時代に妄想していたようなモーレツなバリキャリではありませんが、今のわたしは日系大手企業の中堅総合職として働く「ちょいキャリ」くらいにはなりました。
当面の間はたくさん働いて、未来ある子供たちのために使ってもらうべく税金を納めることにします。
そして、みんなが自分の出来る範囲で元気に楽しく過ごせればいいなと、密かに願っています。