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【先天性心疾患】開胸手術の痕のことについて

生まれつき心臓に病気があったわたしは生後8ヶ月、1歳半、11歳半と3回にわたり開胸手術を受けています。
3回目の手術はわりと覚えているのですが、はじめの2回は記憶にありません。
そして、物心ついた時には既にわたしの鎖骨の間からみぞおちにかけて、1本の長い手術痕が走っていました。
正確にはドレーンを引き抜いた痕も左右のおなかに1つずつとか、鼠径部にカテの痕とか、他にもあるけれど、それらはまぁ些末なものです。

結構この傷跡を気にする方は多いのかな?とか、お子さんに傷跡が残ってしまうことを気にする保護者の方々もいらっしゃるのかな?
というのをふと思い、なんとなく、自分がこの傷跡をどのように考えているかを残そうかと思います。
※あくまでもわたしの場合はこうです、という一例です。

 
 
 
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鎖骨の高さまで傷跡がきている

 


幼い頃から、両親から「この傷はあなたが頑張った証、勲章である」と言われて育ったため、傷跡に対してネガティブな感情は実はありませんでした。
もしかしたら子供の頃に、周りから何か言われたりじろじろ見られたりしたことはあったのかもしれないのですが、一切記憶にありません。
基本的に人からされた嫌なことは(してきた相手が忘れていたとしてもされた自分は決して)忘れないという自分の性分から考えると、傷跡を理由に嫌な目にあったことは意外にないのだと自分では考えています。

ただし、お盆に両親の実家に帰省する時、「胸の傷が隠れるような服を選んで持って行くように」と言われたことは覚えています。
両親の実家のある地域(同じ県内だけれど結構離れている)が保守的な土地柄だったのかもしれないし、わたしを見知らぬ人からじろじろ見られたり心無い言葉を投げかけられたりすることから守るためだったのかもしれません。
でもお盆というのは真夏です。今ほど日本中が暑くなかったにせよ、襟の詰まった服を着るのはあまり現実的ではないですね。

子供というのは親の言うことに疑問を持たないので、小さい頃はそのことについても特に疑問を持たなかったのですが、高校生くらいになった頃から「何で隠さないといけないんだ?ありのままのわたしでいて何がいけないのか?」と思うようになりました。

わたしが通っていた高校はとにかく自由な校風のところで、制服も特定の行事以外では着なくて良いし(そして着る時に“正しく”着る必要も当然ない)、髪の色もピアスの穴の数も開ける位置も自由でした。
わたしは機械弁を入れているためピアスを開けることは泣く泣く諦めざるを得ませんでしたが、高校1年の5月に髪を染め、毎日Tシャツとデニムで学校に通っていました(当時の写真を見ると、トップスがキャミソールだけだったりしている…笑)
そんな高校にいると、「自分らしさとは何か」を少しずつ考えるようになります。
目立っているといじめられるのではないか、他人と違うことをして笑われたらどうしよう、などというおそれを抱く必要もなくなります。

ある日の授業中、わたしの服の襟元から傷跡が見えることを見つけた同級生が「どうしたのそれ」と言ってきたことがありました。
自分「あーこれ手術したんだよね心臓の」
友人「そうなの!?大丈夫?」
自分「今は全然大丈夫だよ。…やっぱり気になる?隠したほうがいいかな?」
友人「え、なんで?全然そのままでいいよ。わたしのほうこそ彼氏が首にキスマークつけてきたから隠さないと!笑」

当時16歳で、キスマークをつけたこともつけられたこともなかったわたしは友人の発言にちょっとびっくりしたけれど、つまり彼女にとってわたしの傷というのは「そのうち消えるキスマークよりもカジュアルなもの」という認識なのだ、とわかったことが、わたしの「何で傷跡を隠さないといけないんだろう」という疑問の答えをくれたような気がしました。

いや、キスマークってわざわざそんなにつけなくない?
まぁいいや。論点はそこではなかった。
きっと彼女らは若気の至りでつけてしまったのだw


やはり胸の傷を隠すための服選びはしないようにしよう、と、自分で服の好みを持つようになってからは考えるようになりました。

手術が原因なのかどうか分かりませんが、わたしは漏斗胸で、実は測ったサイズと実体が合わなさすぎるために下着選びにも非常に苦労しています。
服選びにも漏斗胸はかなり影響が大きく、胸元が大きく開いた服は屈んだ時に中の下着や胸そのものが丸見えになってしまい、結果的に着る機会が殆どありません。

同じような嘆きを持った方を見つけました…↓

note.com


胸筋の上側を鍛えることで少しは下着と身体のあいだの隙間が埋まりやすくなる気がするので鍛えていますが、何も気にすることなく襟ぐりの開いた服を着られるようになるには先が長そうです…
とはいえ、あくまでも服選びの障壁になっているのは漏斗胸。今日もVネックの服の上から傷跡をばんばん見せています。
正直、実生活に不便をきたしている分、漏斗胸のほうがよほどわたしにとっては深刻です。


ここまで散々「傷跡は気にしない」と言ってきましたが、これを読んでくださっている方にひとつだけお願いしたいのは、「傷跡を気にしてはいけない」とは思わないで欲しいということです。
わたし自身は自分の傷跡のことは気にならないし、いま自分の身体についている傷跡を気にしてしまっている方がいたら「気にする必要はないんだよ」と言うかもしれないけれど、「気にしないこと」を強要したくはありません。

現にわたし自身、「この傷跡を見てびっくりする人がいるかもしれない」ということは何となく頭の片隅にあります。
わたし自身が傷跡を気にしないからと言って、わたし以外の人が傷跡を気にするかしないかはわたしが決められることではありませんし、気にする人がいた時にその対象はわたし自身の傷跡かもしれないし、その人自身の傷跡かもしれないし、全く関係のない第三者の傷跡かもしれない。
ただ、他の人がびっくりしようがぎょっとしようが、何か思うところがあっても、そのことでわたし自身の傷跡に対するスタンスはぶれないよ、ということまでしか、わたしに言うことは出来ません。

人間、誰しも自分の外見にコンプレックスを持っています。
どんなに綺麗なあの女優さんも、どんなにかっこいいあのイケメンも、自分の外見にコンプレックスがないなんて言い切れないし、だからこそ彼らは美への努力を怠らないのでしょう。
わたしも、3度目の手術の時に胸を左右非対称に閉じられてしまったらしく、それ以来、肩や鎖骨の付き方が左右で全く違うことは密かに気になっていますし、漏斗胸だって出来れば治って欲しい。
わたしが顔中のほくろを消したのだって、コンプレックスを解消したかったからに他なりません。
そんな感じで、自分の傷跡を気にしてしまうことは、自分の外見に対するコンプレックスのうちのひとつだと思うのです。
外見へのコンプレックスという意味では、「自分が思うほど他人は気にしていない」という点も一緒なのかもしれません。

何よりも怖いのは、「こんなに傷跡を堂々と見せている人がいるのに、いつまでも傷跡を気にしている自分はだめなんだ」などと思ってしまうようなことです。
それは傷跡を気にすること自体よりもはるかに強く自己否定に繋がってしまう、とても悲しいことです。
傷跡を気にしてしまうことは決していけないことではありません。
ほくろと違って消すことも出来ないから、解消のしようがないこともとてもつらいと思います。
ただ、
本当は傷跡のことは気にする必要はないし、
世の中の人の99%(根拠のない数字ですが)は気にしていないし、
もしそんな気持ちになれる時があったなら、
その時は自分の傷跡のことは誇りに思って欲しいし、
傷跡のためだけに好きなファッションを諦めたりなんてしなくていい、
と思っている当事者がいるということが、
心の片隅のどこかにでも残ったらそれで充分なのです。

 

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3年半ほど前の写真。撮られ慣れていない顔つきをしている…笑


この写真の時は、胸がポロリしそうだから水着の上からヒラヒラのレースを着るようにと夫に厳命されて着ています。
この水着は5号なので(普段の服は9号か7号)、いくら漏斗胸のわたしでもポロリはしないと思ったのですが、わたしの場合、自分の身なりに無頓着すぎて万が一ポロリしていても気付かない可能性が高すぎたので夫の言うことにおとなしく従いました。
これでも傷の上半分は出ているのかな?
でも、胸のサイズに自信がない人も、傷が気になる人も、ヒラヒラを着るのはいいソリューションですね。